「貨幣の必然性」と題した章でも、「小さな王国」がひきあいに出されています。
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(『小さな王国』は谷崎の作品としてとくにすぐれたものとも思われないと前置きして)
この「小さな王国」を社会と考えてはいけない。生産的労働がないからである。家から盗み出して来たもので維持される社会はない。盗まれる方の家人の生活は、盗み出す少年たちをも入れて、社会である。ここでは売り買いされる物は生産物である。紙片に数字を書いてお金にしようという約束で、貨幣ができるのではない。数字を書いた紙片は、誰が発行しても貨幣ではない。もっとも、国家の名で数字を書いた紙券を発行すれば、貨幣になると考えた経済を知らぬ経済学者もいる。しかし、私は、むろん谷崎潤一郎が経済学を知らぬといって非難しようとするのではない。貨幣の本質を説明する便宜の上で、この話を借りてくるだけである。
(163ページ)
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……「国家の名で数字を書いた紙券を発行すれば、貨幣になると考えた経済を知らぬ経済学者」の言い分も読んでみたいと思います。