ポーランドが滅んだ原因は「自由の誤解」にあると東海散士は見ます。
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抑々彼民や自由の理を誤り、一身の自由を以て無上の自由と為し、国家独立の自由、更に貴きを悟らず。
春陽堂『明治大正文学全集 第一巻』 三六頁
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そして日本の使節団がポーランドを通過した時には、貧民が群れをなして物乞いをする有様。
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名士木戸孝允も亦従て在り。之を見て深く隆国の末路を感じ、憤歎措かず、朝に帰り、廟堂諸老を誡めたりと云ふ。
(三七頁)
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木戸孝允というと、大久保と西郷に挟まれておろおろしているイメージがありますが、少なくとも前二者よりは、民衆のためを考えていたようです。