核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

『佳人之奇遇』中の平和主義者

 やばい。『佳人之奇遇』面白い。

 物語の娯楽性は『経国美談』ほどではないのですが、作中に詰め込まれた世界各国の情報量がやたら濃いのです。明治の青年読者が熱狂したのもわかります。

 まだ完読はしていないのですが、とりあえず目についた平和主義言説を紹介します。コッシュート(実在のハンガリー独立運動家)が、主人公の東海散士に語る、「軍備過大の禍」の一節。ここ三十年の戦争犠牲者と軍費の数字を挙げた上で。

 

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 嗚乎世人是を平和を維持するに欠く可からざるの値なりと謂ふ。然れども、兵豈平和の具ならんや。要するに、其侵略功名に資するに過ぎざるのみ。故に互いに侵略功名を畏れ、互いに其の兵を加へ互いに漸く其資を増す。而して遂に、其の究極する所を知らず。

 (春陽堂『明治大正文学全集 第一巻』より 二〇九頁)

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 おお、安全保障のジレンマじゃないか。さらに続けて、「殺人滅国」に用いてきた人と金を福祉厚生に移すべきとも論じています。

 東海散士(主人公)自身は「十尺の自由よりも一尺の国権」論者でして、コッシュートの意見に同意しているわけではありません。しかし、この平和論は雑音として捨て去るには惜しいものがあります。なお、作者のほうの東海散士も実際にトリノでコッシュートに面会したそうです(要調査)。