一六年前に書いた村井弦斎「写真術」論では、同作品と同時代に普及した「御真影」を結びつけようとしたのですが、うまくいきませんでした。今回の論文では「御真影」関係はごっそりカットして、そっちはこのブログに載せようと思います。
まず基礎知識として、有名な明治天皇の「御真影」は写真ではなく、写真をもとにお雇い外国人が描いた「絵画」であることについて。
その絵画をもとに撮影された写真が「御真影」ではないか、という反論もあるかもしれません。しかし、たとえば聖徳太子や徳川家康の肖像画を写真にとった画像があったとして、それらを「聖徳太子の写真」「徳川家康の写真」と呼ぶ人はいないでしょう。
それと同じ理由で、明治天皇の「御真影」は写真ではないのです。では、なぜ明治政府は、絵画を写真に撮るという、面倒なことをする必要があったか。