戦争に甘美さを感じる人がいるなどと、まじめな平和主義者には信じがたいことかも知れません。明治大正や昭和初期の文献を読みなれた者には自明のことなのですが。
一例として、北原白秋が日本の国際連盟脱退(一九三三)時に詠んだ、「脱退ぶし」の一節を。
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何が連盟、さよならあばよ、ヨツコラシヨ、
無理がきくなら、どんと来いよ、どんと、
やれよ松岡、ドツコイ俺がゐる。ワンサワンサ。
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いません。ここに責任ある文学者はいません。いるのは松岡外務大臣にへつらうチキンホークです。
「無理がきくなら」の主語が国際連盟と明らかにされていないため、日本の「無理」を暗に風刺した詩なのではないか、と誤読される方もいるかもしれません。念のため第二連も。
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どうせかうなりや、四十二と一つ、ヨツコラシヨ、
いつそ来るなら、どんと来いよ、どんと、
腕の筋金、ドツコイ伊達ぢやない。ワンサワンサ。
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日本の脱退に賛成した四十二か国と棄権した一国に、「どんと来いよ、どんと」と、戦争を挑発し、空威張りしているわけです。棄権したのは日本に同情的なシャム(現タイ)だったのですが。国際政治への配慮は絶無です。ついでに文学性も絶無です。
こういう便乗詩を量産する北原白秋が国民詩人と呼ばれ、広く読まれていたということは、安全な場所で戦争に甘美さを感じる人々が一定数以上存在した証拠になるかと思います。