核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

遅塚麗水『蝦夷大王』にみるアイヌ独立と、その問題点

 国文学研究資料館の「近代書誌・近代画像データベース』に、掲載誌『都の花』(明治25~明治26)の画像があり、おかげさまで、自宅で遅塚麗水の小説『蝦夷大王』(えみしだいおう)を全文読むことが出来ます。

 

 近代書誌・近代画像データベース (nijl.ac.jp)

 

 で、日本人(「しやも」とふりがながされています)と愛儂(「あいの」とふりがな)が壮絶な死闘を重ねた末、後者が勝利し、太平を謳歌する場面を引用します。

 

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 幾十百里の其の間に、日本人全く絶えて路行くものも家居するものの、皆な厚緦(あつし)を着たる人ばかり、愛儂の国は昔しながらの愛儂の国となりぬ、愛儂の人も昔しなからの愛儂の人となりぬ、川には鮭むれ集いて、髪を被ふれる人の捕るに任すれど(もとゞい 変換できず)結ひたる人の捕を許さず、山には熊、鹿、さては兎、狐なんどむれ集ひて、その肉は清き愛儂の夕餉の膳を賑ハし、その皮ハ可憐の愛儂が寒を防ぐ衣とすれど袵(じん)を右にして髭なき日本人のその恵興(めぐみ)に預かるものなく、愛儂の国の青人草は、かもい(原文傍点)より与へらるゝ恵を受けて、熙々然洋々然、皆な太平を謳歌しける。

 遅塚麗水『蝦夷大王』 『都の花』第九十九号 明治二六年一月一五日掲載

    ※

 

 静岡県出身の日本人である遅塚麗水が、どういうつもりでこの段を書いたのかはわかりません。彼なりに日本の政策を憤り、アイヌに感情移入した結果なのかも知れません。

 が、同じく日本人である私としては、ここに描かれた「太平」に賛同するわけにはいきません。自分がほかならぬ、しゃもの当事者であるからというよりも、これでは日本人によるアイヌ差別が、アイヌによる日本人差別に逆転しただけのような気がしてならないのです。