『名古屋大学法政論集』298 191-204, 2023-06-25。
CiNiiで読めました。
私は以前シャンタル・ムフという政治思想家の「闘技民主主義」に入れ込んでいながら、最近はなまけていました。ムフに限界を感じたわけではなく、主に当方の英語力の欠如が原因です。この書評で取り上げられている、フアット・グルスゾルがムフを再評価した著書(二〇二二)も、危うく知らないまま過ごすところでした。
まず目に入ったのが、
「闘技的平和」
という術語。グルスゾル著の第六章「平和を闘技的に考える」、酒井書評の二〇一頁。持続可能な闘技的平和(sustainable agonistic peace)こそ、ムフらが主張する闘技的民主主義の最終目的であると。私は猛烈に心動かされました。そういう論を待っていたのです。
ムフ自身は、「平和」という言葉をあまり使わないため誤解されがちなのですが、グルスゾル(や私)は、ムフが主張する「闘技」とは非暴力的な営為であり、なまの暴力をさすのではないととらえています。
サステナブル(持続可能)な闘技的平和などというと、いかにもSDGsの流れに乗ったなと思う方もいるかも知れませんが、私はそうは思いません。軍拡競争や核抑止という、どう考えても持続可能ではない平和への(「積極的平和主義」などはその典型です。グルスゾルは安倍晋三には言及していないようですが)、痛烈な批判のこもった言葉です。
さすが名古屋大学、いい仕事してます。グルスゾル著の日本語訳が出たら必ず買って読みます。