核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

一八九三(明治二六)年の桃太郎

 村井弦斎・遅塚麗水合作「美少年」は、大山桃太郎が北海道、十勝国沙流(さる)の地に現れたとこから始まる物語で、私は昔話の桃太郎を下敷きにしているという前提で読んでいたのですが、ふと気になりました。一八九三(明治二六)年の段階で、桃太郎の話はどれほど日本国民に知られていたのかと。ウィキペディアの「桃太郎」の項で下調べしますと。

 

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 1887年(明治20年)に国定教科書(『尋常小学読本』巻1)に採用される際にほぼ現在の「標準型」のあらすじの桃太郎物語が掲載された[34][35]。だが1904年の第1期『尋常小学読本』の際には桃太郎はいったん教材からはずされた。1910年の第2期『尋常小学読本』にて復活したが、このころ童話作家の巖谷小波が文部省嘱託となっていて桃太郎の執筆に大きくかかわっている(事実上の執筆者である)と考えられている[注 8][36]。小波は、1894年(明治27年)に『日本昔話』としてまとめられており、これもその後の語り伝えに大きく影響した。

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 国定教科書には載っていたけど、巌谷小波『日本昔話』はまだだそうです。

 『少年世界』などの雑誌で小波が、一八九三(明治二六)年七月以前に桃太郎物語を発表していないかどうか。自分なりに調べてみます。