太宰治「如是我聞」(にょぜがもん)の一節を、青空文庫より引用。
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普通の小説というものが、将棋だとするならば、あいつの書くものなどは、詰将棋である。王手、王手で、そうして詰むにきまっている将棋である。旦那芸の典型である。勝つか負けるかのおののきなどは、微塵もない。そうして、そののっぺら棒がご自慢らしいのだからおそれ入る。
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「あいつ」とは志賀直哉のこと。大先輩作家への非礼な暴言として、従来の志賀直哉論ではあまり論じられていなかったようですが、ここには考えるべき問題がありそうです。すでに『将棋と文学セレクション』という本が刊行されており(私は未読)、考察されているかも知れません。かぶるとご迷惑がかかるので、私の感想はそちらを読んでからにします。