(略)
核開発は必要だということについてぼくはまったく賛成です。このエネルギー源を人類の生命の新しい要素にくわえることについて反対したいとは決して思わない」
大江健三郎 講演 「核時代への想像力」 1968年5月28日 於 紀伊国屋ホール
引用は、大江健三郎 『核時代の想像力』 新潮社 2007 120ページより
では、先月の「ニューヨーカー」紙に投稿した、「原子力発電は広島・長崎への最悪の裏切り」発言はなんだったのでしょうか。
「諷刺と哄笑の想像力」 1975 初出 『新潮』1976年1月号(未読) 『同時代論集 8』収録
「想像力的日本人」 1973・74 初出 『世界』1974年1月号(未読) 『同時代論集 9』収録
二編とも、「核発電所」への反対論であり、その限りでは「ニューヨーカー」紙への寄稿と一致しています。
アメリカの核推進論者ハーマン・カーン(ハマーン・カーンとは別人です)への誹謗はいたるところに出るのですが、共産圏の核開発への批判はほとんどなく、それどころか毛沢東を尊敬しているとさえ断言しています(大躍進政策と文化大革命がもたらした悲惨については、1970年代には知られていたはずです)。
まだ言いたいことはあるのですが、小説と80年代以降の論説を読んだ上で再論したいと思います。
あらさがしや裁きのためではなく、文学が社会にもたらす功罪の実例を知るために。
4月25日記 ニューヨーカー紙での大江の発言は「広島の犠牲者への最悪の裏切り」であり、長崎についてはふれていませんでした。訂正してお詫びします。