核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

谷沢永一 『完本 紙つぶて』 文芸春秋 1978

 このブログでも二回ほど名前の出てきました、谷沢永一(たにざわえいいち。やざわえいきちでもヤザワエーサクでもありません)の代表作、『完本 紙つぶて』をご紹介します。
 当ブログは昭和女子大学刊行の『近代文学研究叢書』の装丁につきまして、谷沢永一さんも文句を言っていたようです、と4月11日に書いてしまいましたが、どうやら記憶違いだったようです。同書232ページの「剽窃して居直る女子大学 丙 51・5・25」にはこうありました。
 
 「一寸見には奇特な学術的貢献と錯覚されやすい外装が功を奏して第六回菊池寛賞を受けた。しかし実際には、この叢書が粗雑きわまる間違いだらけ、書誌の機能を持たぬ無用の長物である内状は学界の常識」
 
 そして、第40巻に収録された寺田寅彦研究文献目録が、大森一彦の『東北工業大学紀要』第三号発表のそれからの盗用であること、昭和女子大学がそれを指摘されながら謝罪も刊行中止もしていないことを書いています。
 無断盗用は虚偽の記述や論文二重売りと並ぶ大罪ですし、昭和女子大学は大森氏に今からでも謝罪すべきだとは思いますが、49巻の『遅塚麗水』編にさんざんお世話になった身としては、40巻で刊行中止になってたら困ってたところです。少なくとも遅塚麗水に関する限り、『近代文学研究叢書』を超える書誌は存在しないのです。間違いや脱落はあるにしても。いずれ誰かがより完全な(絶対的に完全な書誌、というのは不可能にしても)書誌を作るまでは、『近代文学研究叢書』を頼りにするしかない、というのが私の本音です。
 
 それより問題は、「学術的貢献と錯覚されやすい外装」のほうですよ。
 背表紙に収録作家名が書いてなければ役に立たないことぐらい、1巻が出た時点で誰でも気づきそうなものですが、この件を谷沢永一が批判していないのは意外でした。もしかしたら別の本で書いてたかも知れません。改訂版である『自作自注最終版 紙つぶて』は近くの図書館にはないので、今度大きな図書館で調べてみます。
 
 ぎすぎすした話になってしまいましたが、『紙つぶて』シリーズの話題の豊富さは、文学に関心のある人、読書の好きな人であれば一読に値します(学術書ではないので、購入まではおすすめしませんが)。
 口直しに、福地桜痴についてこの本で私がはじめて知った新発見を二つほど。
 
 「『活動写真』の名付け親を明治の粋人・福地桜痴とする俗説には、早く石井研堂の『明治事物起源』が疑いをさしはさんだ。田中純一郎は『日本映画発達史』(中央公論社・全四巻)で、『東京日日新聞』明治三十年三月五日の広告文中にこの言葉が出たのを最初と断定する。だが、『時事新報』同年一月二十九日の広告の表題が、もうチャンと「活動写真」となっているのには気づかなかった」
  「日本映画史の発達 47・3・1」 121ページ
 
 「円管に錫をはった旧式蓄音機であるフォノグラフの本邦初演は、明治十二年三月二十八日午後六時から木挽町の東京商法会議所でおこなわれた。余興に録音を勧められた東京日日新聞社長の福地桜痴は「コンナ器械ガ出来ルト新聞屋ハ困ル」と吹きこんだ」
  「レコード文化史 丁 51・5・31」 239ページ
 
 おめでたい席で、全然おめでたくないセリフをはくのが桜痴クオリティ。
 なんか、「グラモフォン・フィルム・福地桜痴」でも書きたくなってきました。