核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

大江健三郎 『治療塔』(1990)

 想像力想像力言ってるわりに、いつも四国の森と親戚一同のことしか書かない大江健三郎
 …そう思ってた時期が、私にもありました。
 
 『治療塔』が扱うのは、局地的核戦争と原発事故多発で荒廃し、政治・宗教・科学のエリートたちが宇宙へ「大出発」していった後の、見捨てられた人々の住む地球です。「ヒカリさんが半世紀以上前に作曲した曲」が出てきたり、「前世紀」のスペースシャトルの爆発事故を目撃した人が生きていることから、時代は21世紀半ばといったところでしょうか。治安や食糧事情はどんどん悪化し、エイズや「新しい癌」が世界的に流行しています。
 
 資源も人材も失われた地球の未来のために、軽金属会社を営む繁伯父さんは、新製品の製造開発を全面的に中止し、二流三流の人々で文明を維持するための、K・Sシステムを提唱します。
 
 「『高度なものは、より高度でない方へ』『難しいものは、易しい方へ』『複雑なものは、単純な方へ』『不要不急の設備や装飾のついているものは、ノッペラボーに』『リファインは、敵』『目標―原始的な有用性』『将来の希望―小規模な町工場への分散化』」
 
 といった方針のもとに、繁伯父さんはテクノロジーの無理な加速を逆行させ、ドライヴァーとハンダごてと図面で維持できる器用仕事(ブリコラージュ)の時代をめざそうとします…
 
 …いや、こういう物語を読みたかったのですよ。
 私が大江健三郎批判をはじめた理由の一つは、核時代について予言者じみた警告を並べるばかりで、核エネルギーへの合理的な代案を出そうとしない点にあったのです。効果的な批判とは罵詈雑言を並べることではなく、相手が納得する代案を出すことにある、という信念を持つ私は、この繁伯父さんの生きざまに心から共感したものです。ドライバーとハンダごてなら、二流三流の私でも使えますし(もと工員なのです)。
 
 ですが、繁伯父さんは「1」章で亡くなってしまい、入れ替わりに「大出発」した宇宙船団が十年ぶりに帰ってきます。彼らが新しい地球で見つけた若返りの遺跡「治療塔」をめぐって、残留者と帰還者、新しい地球に残った叛乱者の間の軋轢が描かれていくのですが…。
 正直なところ、SFを読みなれた私にとっては、「2」章以降の展開はありがちとしかいいようがありませんでした。別に大江にハードSFを期待したわけではありませんが、最低限、10年で100万人規模の恒星間移民を可能とする宇宙船団が、核エネルギーなしでどうやって可能になったのか、その新技術はなんで軍事利用されてないのかの説明ぐらいは責任を持ってやってほしかったものです。
 
 筒井康隆をして、「あの大江さんがここまでやるー」と言わしめた(「本の森の狩人」)、おばあちゃんがレーザー銃を撃つ場面もありましたが、核以外の「通常兵器」の使用に、ヒロイン含む全登場人物が少しもためらいを持たないのも気になるところです。
 
 続編『治療塔惑星』と一続きの話ですので、続きは後でまとめて書くことにします。