核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

北大路魯山人 「弦斎の鮎」

 久しぶりに弦斎と食について調べていたら、北大路魯山人の随筆「弦斎の鮎」なるものを発見しました。
青空文庫の上記ページより。初出:「星岡」1935(昭和10)年。以下に一部を引用します。
             ※
 例えば、あゆについていうなら、『食道楽』の著者村井弦斎などのあゆ話にはこんなミスがある。「東京人はきれい好きで贅沢だから、好んであゆのはらわたを除き去ったものを食う」ここが問題なのだ。東京人がきれい好きだからわたを抜いて食うというのは大間違いであり、東京人がきれい好きというのは、この場合、余計なことだ。
 要するに、村井弦斎が東京人かどうか知らぬが、彼のあゆ知らずを物語っている。はらわたを除き去ったあゆなどは、ただのあゆの名を冠しているだけのことで、肝心の香気や味を根本的に欠くので、もはや美味魚としてのあゆの名声に価しないものである。
 これはたまたま当時、急便運送不可能の都合上、東京にはらわたがついたままのあゆがはいり得なかったまでのことで、弦斎の味覚の幼稚さを暴露したものである。今日食道楽といわれているひとの中にも、ずいぶんこの種のひとがいる。彼らの著書をみれば一目瞭然である。一般的にいえば、彼らの著書の内容は、辞書の受け売りや他人の書物のつぎはぎで、著者自身の舌から生み出された文章はまったく稀である。
             ※
 
 ・・・『食道楽』下巻を読み直してみたのですが(巻末料理法索引によれば、鮎料理に言及しているのは下巻のみです。上巻は今手元にないので後日)、「東京人はきれい好きで贅沢だから、好んであゆのはらわたを除き去ったものを食う」なる箇所は発見できませんでした。鮎料理が出される同書49ページによれば「私が昨日わざわざ汽車で遠方まで出掛けて自分で極く上等の鮎を釣って参ったのです」とあり、はらわたを取り除いたかどうかは確認できませんでした。
 弦斎びいきの私としては、弦斎は料理のみならず釣りについても造詣が深く、百道楽の第一『釣道楽』の著者でもあること、愛知県豊橋市出身であること、27ページで酒匂川と早川の鮎の違いについて熱く語っていることなどをつけくわえておきます。
 ただ、あゆを食べた経験がろくにない私がどうこう言ってもらちがあかないので、どこかで「対決!道楽のあゆVS美食のあゆ」みたいな企画をやってくれないものでしょうか。
 美食家の文人としてひとくくりにされがちな弦斎と魯山人ですが、食のマニュアル化と大衆化をめざす弦斎(だからこそ、味の素の宣伝にも協力したのです)、食に美を求める魯山人の違いは無視できないと思うのです。