核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

村井弦斎「鮎の話」 『月刊 食道楽』1905(明治38)年8月号

 2011年8月4日の記事で、当ブログは北大路魯山人の随筆「弦斎の鮎」を引用しました。
青空文庫の上記ページより。初出:「星岡」1935(昭和10)年(未見)。
 
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 例えば、あゆについていうなら、『食道楽』の著者村井弦斎などのあゆ話にはこんなミスがある。「東京人はきれい好きで贅沢だから、好んであゆのはらわたを除き去ったものを食う」ここが問題なのだ。東京人がきれい好きだからわたを抜いて食うというのは大間違いであり、東京人がきれい好きというのは、この場合、余計なことだ。
 要するに、村井弦斎が東京人かどうか知らぬが、彼のあゆ知らずを物語っている。はらわたを除き去ったあゆなどは、ただのあゆの名を冠しているだけのことで、肝心の香気や味を根本的に欠くので、もはや美味魚としてのあゆの名声に価しないものである。
 これはたまたま当時、急便運送不可能の都合上、東京にはらわたがついたままのあゆがはいり得なかったまでのことで、弦斎の味覚の幼稚さを暴露したものである。今日食道楽といわれているひとの中にも、ずいぶんこの種のひとがいる。彼らの著書をみれば一目瞭然である。一般的にいえば、彼らの著書の内容は、辞書の受け売りや他人の書物のつぎはぎで、著者自身の舌から生み出された文章はまったく稀である。
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 ・・・『釣道楽』の作者でもある弦斎がそんなミスをするだろうか、と思っていたのですが、このたび『月刊 食道楽』の「鮎の話」を読み、疑問が解けました。
 
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 「朝に獲つたのですと一旦置くために腸を抜きますが、此様いふのはいけません、成丈け獲つて間なしのでなければ旨味(おいしく)はありません」
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 ・・・つまり、一般にははらわたを抜いた鮎が食されているが、自分はそうではない鮎を愛好する。そうはっきりと書かれています。「辞書の受け売りや他人の書物のつぎはぎ」ではなく、「著者自身の舌から生み出された文章」であることは、この「鮎の話」でも、8月4日にも引用した『食道楽』の鮎の項を見ても明らかです。
 私にとっては魯山人と弦斎の、食通としての優劣などはどうでもいいことです。仮に「味覚が幼稚」だったとしても、そんなことは彼の価値を低めるものではありません。ただ、弦斎の文章家としての誠実さは、これで証明できたかと思います。
 
 追記 この件について、すでに言及されている文献が存在しました。詳細は4月22日の記事をご覧ください。
 なお、1905(明治38)年4月号と書いたのは8月号の誤りでした。重ねてお詫びします。