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8 福地源一郎 試衛館道場を訪れた日本最初の新聞記者
明治になって日本で初めての新聞『江湖新聞』を創刊した福地源一郎(桜痴 おうち)は幕府通辞方だったころ試衛館を訪ねて、その印象を語り残している。試衛館道場の見聞記としては唯一のものだ。(略)
福地が訪ねた日は、半年ぶりで門弟に稽古をつけていたところだった。
こうなった(引用者注 講武所教授の不採用)うえは幕府の浪士隊募集に参加し、京洛の地で大いに驥足をのばそうと決意しているらしい近藤にたいし、福地が、裏面で画策している清河八郎の人となりについて、いささか注意を与えた(略)福地が試衛館を訪ねた時期は文久二年の十二月から翌三年正月ころのことと思われる。(略)
〔史料メモ〕
試衛館道場を訪ねた福地の話は、福地の門人の流泉小史が『新選組剣豪秘話』(原題『剣豪秘話』)に書いている。流泉小史が東京日日新聞の記者をやめたのち『文芸春秋』に掲載して話題を呼んだのが『剣豪秘話』だった。
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とりあえず今回は判断保留で、『剣豪秘話』を読んだ上で結論を下したいと思います。こうご期待。