『新青年』1930(昭和5)年2月号。E・A・ポオ「メエルゼルの将棋差し」とだけあり、訳者の名前はありませんが、随筆「常識」で小林自身が訳者であることを明かしています。
Poeはポオかポーか、Maelzelはメエルゼルかメルツェルか、Camusはカミユスかカミュか、といった表記の問題については不問にします。名前の正しい発音なんて、本人に聞かないとわからないだろうし(よく間違われるのですが、私はけんじではなくたけしです)。問題は別なところにあります。
書き出しの一節、「天才は機械の発明によって屡々不可思議な発明をするものである。だが、一見、如何にも不可思議らしく見えるとしても、それが純然たる機械であればある程、その内部に伏在してるところの、たつた一つの原理を発見しさへすれば、それによつて容易に不可思議を解決し得るものなのである」が原文に存在しないことは、すでに指摘があります(筑摩書房『機械のある世界』小林秀雄・大岡昇平訳「メルツェルの将棋差し」249ページの訳注〔1〕)。今回入手した原文にもありませんでした。
一方、原文の本来の冒頭部分(「機械の天才ともいうべき人たち」が、「この自動人形は本物の機械」と、「軽率にも言明している」部分。大岡訳より)はまるごと削られています。
もはや「抄訳」だの「遺漏」というレベルではありません。ポオの名を騙る贋作です。