小林秀雄の批判をやりだすときりがないのですが、これは書いておかねばなりません。
『メルツェルの将棋差し』という訳題は明らかに誤訳なのです。「差し」や、初出での『メエルゼル』という表記はともかく、問題は「将棋」です。
ポーが述べているのはチェスの機械であって、日本の将棋のことではないのです。
たかだか盤一回りの違いじゃないか、と思わないでください。チェスのすべての局面の「場合の数」はおよそ10の120乗。将棋はおよそ10の200乗(松原仁『将棋とコンピュータ』22ページ)。複雑さがまさにけた違いなのです。
私は自分で計算することはできませんけれど、たとえば持ち駒が一つ増えるごとに、次の可能な一手が数十手増加する、というぐらいはわかります。その数十手ごとに、さらに次の敵の指し手、それに対する自分の指し手・・・を読む必要があるわけです。
昭和初期なら知らず、なぜ戦後の創元社ポー全集までが『将棋差し』のままにしているのか。理解に苦しむところです。いや、理解はできますけど。