核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

ポー「メルツェルの将棋差し」(1836 小林秀雄・大岡昇平訳)

 『機械のある世界〈ちくま文学の森11〉』(筑摩書房 1988)より。
 19世紀のからくり器械をいくつか紹介した後、問題の将棋ロボの考察に入ります。
 
    ※
 (バベェジ氏の印刷機能つき計算器の性能は)有限であり、決定されているからである。ところが、「メルツェルの将棋差し」となると、大分問題が違ってくる。(略。代数の計算と違って)チェスの勝負ではゲームが進めば進むほど、それに比例して次にくる手の不確実性(傍点)が高まって行く。二、三手も差せば確実な手というものはもはやありえぬ(傍点)のである。(略)この自動人形の動作を規制しているのが人智(傍点)であり、それ以外ではありえぬことは確実である。
    ※
 
 ここから自動人形の中の人についての推理が始まるわけですが、長いので省略します。要は、「機械にチェスができるわけはないとポーは考えていた」と、上の文章から読み取れるということです。
 問題は、この翻訳自体に小林秀雄の手が関わっていたという点です。
 
    ※
 この作品は(略)小林秀雄ボードレールの仏訳から重訳している。昭和五年『新青年』二月増刊号に、訳者の名を記さずに掲載された。(略)かなり大胆な抄訳であった。本全集に入れるについて、大岡が約三分の一を新たに訳し、小林の訳文の遺漏を埋めた(ボードレールの仏訳にすでに遺漏があった)。大岡は出来るだけ、小林の訳文の調子に合わせるのを方針とした。(略)
 彼(引用者注 小林)の刈り込み方は一種独特であって、特に原文にも、ボードレールの訳にもない、次の書き出しの数行を、ここに記載しておきたいと思う。
 「天才は機械の発明によって、しばしば不可思議な創造をするものである。だが、一見は如何に不可思議らしく見えるにしても、それが純然たる機械であればある程、その内部に伏在しているはずの、たった一つの原理を発見しさえすれば、それによって容易に不可思議を解決し得るのである」
 (『機械のある世界』収録「メルツェルの将棋差し」249~250ページの注〔1〕より)
   ※
 
 なんでそんなふだつきの非良心的な訳を採用したのか、理解に苦しみます。ポーの英文を直接訳せば済むことでしょうに。
 結局、「『機械にチェスができるわけはないとポーは考えていた』と小林秀雄は考えていた」らしいことは判明しても、ポー自身がどう考えていたのかは、この訳からは判定できないわけです。
 らちがあかないので、小林の手が加わっていないポーの訳文を探すことにします。