核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

松原仁 『将棋とコンピュータ』 共立出版 1994

 こういう本を読みたかった。久しぶりにそう思わせてくれる、実に情報量の豊かな本です。
 著者は人工知能の研究家で、将棋はアマチュア五段だそうです。
 (理系の方らしく、タイトルおよび本文中では「コンピュータ」と、最後の「ー」なしで表記なさっています)
 引用すべき事項は多いのですが、まずチェス・囲碁・将棋それぞれの、プログラムの歴史について。
 
   ※
 チェスのプログラム化を初めて試みたのは、シャノンという研究者で一九五〇年のことです。(略)彼は、ミニマックス法によるゲーム木の探索、静的評価関数による局面の評価、という現在もゲームのプログラムで使われている基本的なアイディアを論文のなかで提示しました。実際に動くプログラムをつくったわけではありません。(略)
 最初に一局を通してプレーできるプログラムができたのは一九五八年のことです。(略)
 はじめて初級者(平均的人間のレベル)に達したのが、一九六七年にグリーンブラットがつくったMachackでした。
 (62~64ページ)
 
 最初にちゃんとプレーできる囲碁のプログラムをつくったのはゾブリストで、一九六九年のことです。強さはアマの三〇ー四〇級程度でした。
 (73ページ)
 
 将棋のコンピュータ化というアイディア自体は、チェス同様にコンピュータ出現の直後からありましたが、実際にはじめてプログラムどうしが対戦したのは一九七九年のことです。(略)
 一九八三年には初めてパソコン用の市販ソフトウェアが登場しましたが、まだ「コンピュータにも将棋が指せる」というレベルにとどまっていました。
 (85~86ページ)
   ※
 
 小林秀雄の「常識」(機械に将棋は指せないという論)が書かれるよりも前に、チェスを「一局を通してプレーできるプログラム」は存在していたわけです。チェス盤は将棋盤よりも一回り小さく、取った駒を再利用できないため、少しだけ簡単(コンピューターにとっては)になるのですが、原理は同じです。
 もう小林秀雄批判をやりだすときりがないので(私もなんとかして弁護したいと思ってはいるのですが、弁護すべき点が一つも見つからないのです)、コンピューターと人間の思考の質、自由意志の実在といった、もう少し高級なテーマについて論じていきたいと思います。『将棋とコンピュータ』の本当に面白い部分は、小林秀雄が思考を停止したところからなのです。