こういう本を読みたかった。久しぶりにそう思わせてくれる、実に情報量の豊かな本です。
(理系の方らしく、タイトルおよび本文中では「コンピュータ」と、最後の「ー」なしで表記なさっています)
引用すべき事項は多いのですが、まずチェス・囲碁・将棋それぞれの、プログラムの歴史について。
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チェスのプログラム化を初めて試みたのは、シャノンという研究者で一九五〇年のことです。(略)彼は、ミニマックス法によるゲーム木の探索、静的評価関数による局面の評価、という現在もゲームのプログラムで使われている基本的なアイディアを論文のなかで提示しました。実際に動くプログラムをつくったわけではありません。(略)
最初に一局を通してプレーできるプログラムができたのは一九五八年のことです。(略)
はじめて初級者(平均的人間のレベル)に達したのが、一九六七年にグリーンブラットがつくったMachackでした。
(62~64ページ)
最初にちゃんとプレーできる囲碁のプログラムをつくったのはゾブリストで、一九六九年のことです。強さはアマの三〇ー四〇級程度でした。
(73ページ)
将棋のコンピュータ化というアイディア自体は、チェス同様にコンピュータ出現の直後からありましたが、実際にはじめてプログラムどうしが対戦したのは一九七九年のことです。(略)
一九八三年には初めてパソコン用の市販ソフトウェアが登場しましたが、まだ「コンピュータにも将棋が指せる」というレベルにとどまっていました。
(85~86ページ)
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小林秀雄の「常識」(機械に将棋は指せないという論)が書かれるよりも前に、チェスを「一局を通してプレーできるプログラム」は存在していたわけです。チェス盤は将棋盤よりも一回り小さく、取った駒を再利用できないため、少しだけ簡単(コンピューターにとっては)になるのですが、原理は同じです。