重要な異同のみ指摘します。230ページ上段5行目。
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「仮りに、先手必勝の結果が出たら、神様は、お互にどうぞお先へ、といふ事になるな」
「当り前ぢやじやないか。先手を決める振り駒だけが勝負になる」
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「仮りに、後手必勝の結果が出たら、神様は、お互にどうぞお先へ、といふ事になるな」
「当り前ぢやじやないか。先手を決める振り駒だけが勝負になる」
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ここは「後手必勝」でないと意味が通らないのです。中谷宇吉郎はこの時期日本に滞在しており、小林と対話した可能性までは否定しきれませんが、ここに書かれた「一問一答」が実際の通りであったかどうかは疑わしいと思います。なお、中谷宇吉郎が文藝春秋画廊で開いたのは二人展であって、個展ではありません。
もう一つ、230ページ下段「計算機に酷似」の2段落目。
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メールツェルの人形が発明されたのは、私は読んだ事はないが、有名なラ・メトリの「人間機械」が書かれて間もなくの事である。
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全集では「人間機械論」になってますけど、いずれにせよ嘘です。
「人間機械論」の発表は1747年。ポーの"Maelzel's Chess-Player"の原文には”The Automaton Chess-Player was invented in 1769,"とあり、小林の『新青年』での訳文もそうなっていました。その間22年。
こうした異同をぬきにしても、シャノンの「チェス指し機械」の4年後に、「機械には物を判断する能力はない、だから機械には将棋は差せぬ」などと18世紀の常識をふりかざすのは、非常識としか言いようがありません。
小林の無知が問題なのではありません。読者への不誠実さが問題なのです。