核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

森鴎外 『渋江抽斎』 より その六十三(うなぎ酒)

 鷗外の史伝には珍しく、おいしそうな話。いつかは試してみたいと思っていましたが、今の私は完全断酒主義なので。
 青空文庫より、新字新仮名にて引用させていただきます。
 
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 その六十三

 鰻を 嗜 ( たし ) んだ抽斎は、酒を飲むようになってから、しばしば鰻酒ということをした。茶碗に鰻の 蒲焼 ( かばやき ) を入れ、 些 ( すこ ) しのたれを注ぎ、 熱酒 ( ねつしゅ ) を 湛 ( たた ) えて 蓋 ( ふた ) を 覆 ( おお ) って置き、 少選 ( しばらく ) してから飲むのである。抽斎は 五百 ( いお ) を 娶 ( めと ) ってから、五百が少しの酒に堪えるので、勧めてこれを飲ませた。五百はこれを 旨 ( うま ) がって、兄栄次郎と妹壻長尾宗右衛門とに 侑 ( すす ) め、また比良野 貞固 ( さだかた ) に飲ませた。これらの人々は後に皆鰻酒を飲むことになった。
 飲食を除いて、抽斎の好む所は何かと問えば、読書といわなくてはならない。古刊本、古抄本を講窮することは抽斎終生の事業であるから、ここに算せない。医書中で『 素問 ( そもん ) 』を愛して、身辺を離さなかったこともまた同じである。次は『 説文 ( せつもん ) 』である。晩年には 毎月 ( まいげつ ) 説文会を催して、小島成斎、森 枳園 ( きえん ) 、平井東堂、海保 竹逕 ( ちくけい ) 、 喜多村栲窓 ( きたむらこうそう ) 、栗本 鋤雲 ( じょうん ) 等を 集 ( つど ) えた。
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 栗本鋤雲といえば明治初期の有名ジャーナリストですが、彼も鰻酒をごちそうになったりしたのでしょうか。『食道楽』の村井弦斎との間はだいぶ離れていますけど。
 
 (追記) 「たしんだ」は「たしなんだ」の誤記と思われます。青空文庫版はほかにも誤植(「本私刑史」)がありますが、岩波文庫か全集と対照するまではそのままとしておきます。