核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

河合栄治郎「混沌たる思想界」(『中央公論』1934(昭和9)年2月号)

 引用は『近代日本思想大系 35 昭和思想集Ⅰ』(筑摩書房 1974)によります。
 本当は土田杏村目当てで借りてきたのですが、河合栄治郎(かわいえいじろう 1891~1944 杏村と同年生まれ)のこの論文が圧倒的に面白かったので、先に紹介させていただきます。
 この論の主題は、昭和初期当時の二大流行思想だったマルキシズムとファッシズムの両方を完全に否定し、それに対するに「自由主義」をもってした点にあります。
 もう一つ、
 「日本を中心とする戦争は絶対に避けなければならないと同時に、戦争に藉口して出現するファッシスト運動も亦吾々は極力阻止せねばならない」
 という反戦主義者であったこともつけくわえておきます。
 昭和9年にあって自由主義・議会主義・平和主義というだけもとてつもなく貴重なのですが、私をひきつけたのは文章のはしばしから漂う、河合栄治郎という人間の生き様です。
 
   ※
 マルキシストにせよファッシストにせよ、若し真剣に自己の主義の前途を思ふ時、恐るべきものは反対の思想家に非ずして、頼み甲斐なき同志の無節操なることに想到しないであらうか。(略)
 何れの主義を採るかの前に、凡そ主義に殉ずる節操が教へられねばならない、
 (『昭和思想集Ⅰ』415ページ)
   ※
 
 マルクス全盛期にはマルクスを礼讃し、弾圧期には国家主義者に転向し、終戦後にはまた戦時中の活動をなかったことにして・・・といった文筆家がいかに多かったことか。
 マルクス主義と軍部ファシズムの両方の危険性を訴え、逆に起訴されて大審院まで争ったものの1943年に敗訴し、終戦を見ずに1944年に亡くなった河合栄治郎の「節操」は、陰惨な昭和思想史の中にあって群を抜いています。
 もっと早く出会いたかったものです。戦時下・晩年の著作もなるべく早く読んでみます。