核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

武田尚子『チョコレートの世界史 近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石』中公新書 2010

  19世紀後半の、「食べる」チョコレートの開発と普及について調べてみました。
 以下、年表形式で要約します。
 
1847年 湯や水に溶いて飲むのではなく、そのまま食べる「チョコレート」が誕生(85p)
1876年 アンリ・ネスレ、現在のものに近いミルク・チョコレートを開発(92p)
1878年 日本ではじめてチョコレートが製造・販売された(118p)
同12月24日 『かなよみ新聞』に「貯古齢唐」
同12月25日 『郵便報知新聞』に「猪口令糖」の名称で、米津風月堂が広告を出す
(カカオ豆から製造したわけではなく、原料チョコレートを輸入し、加工て売ったと推測されている)
1918年 森永製菓、カカオからチョコレートの一貫製造を開始
1919年 森永製菓、国産ミルクココアの製造開始
1920年 森永製菓、ミルクチョコレートを1枚10銭で販売
(当時の女工の賃金は一日20銭、大福は1個5厘前後。つまり非常に高価)
1926年 明治製菓、カカオからチョコレートの一貫製造を開始(120p)
1920~30年代 「玉チョコ」「棒チョコ」が普及しはじめる(172p)
 
 村井弦斎の『日の出島』で、雲岳女史がココア用のチョコレートを「食べた」のは1898年。
  (当ブログ2013年11月16日
 東京では二十年も前から食べるチョコレートが販売され、ほかならぬ郵便報知新聞(弦斎が連載していた『報知新聞』の前身)に「猪口令糖」の広告が出ていました。食べるチョコレートはそんなに珍しくもなかったのかもしれません。
 チョコレート問題は片が付きましたが、この機会にちょっと「甘さ」について考えてみようかと思います。なぜ弦斎は食道楽舞台化でシュークリームを選んだのか、とか。