土御門院は当時の史料でいかに語られていたか。唐突にむしょうに気になりまして、該当箇所を読んでみました。『吾妻鏡』承久3年(1221)10-閏10月小。
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十日、庚寅(かのえとら)。土御門院が土佐国(のちに阿波国)に遷られたという。(略)土御門院は、その徳化が広く全国に及び、その慈愛の心が国の果てまで充満していたため(配流が)申請されず日数を経ていたところ、御意思により急に南海に遷幸されたという(以下略)。
(150~151ページ 今野慶信訳)
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…日付はわかったので、次は原文も読んでみます。