核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

ゴドワロワ・エカテリナ「星一『三十年後』―優生思想家が夢見た〈理想的〉な社会像」 その2

 すぐれた論文であることは認めた上で、一つだけ反論をさせていただきます。
 星一の『三十年後』と、ザミャーチンの『われら』における管理社会への反乱を比較した箇所です。

   ※
 そしてその試みの結果もほぼ同様である。『三十年後』においては嶋浦の説得によって内乱が無事に抑えられ、社会秩序が回復された。それに対し、『われら』の反乱の鎮圧は残酷であった。その反乱は守護者の活動によって鎮圧され、反乱者全員が逮捕された。
 主人公のD-503は脳外科手術を強行され、反乱と恋人のI-330号の記憶をなくす。そして、反乱のリーダーの一人であるI-330号が死刑になった。
 (36ページ)
   ※

 これが「ほぼ同様」でしょうか?
 『三十年後』にあっては、反逆者・説得者ともに暴力を用いず、それどころか「平和薬」すら用いずに、対話によって事件が解決します。洗脳と殺戮のうちに終わる『われら』とは「ほぼ同様」どころか、むしろ逆の結果です。
 ゴドワロワ氏は優生学的な管理社会に強い危惧を持っておられるらしく、その点は私も共感します。ただ、そのために『三十年後』の持つ反戦・非暴力というテーマを無視してしまうのは、非常にもったいないことだと思うのです。
 私とて、平和でありさえすればがちがちの管理社会であってもいい、と考えているわけではありません。私が思い描いている平和とは、人間の身の丈にあった、背伸びをしない平和です。