核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

福地桜痴『思ひ思ひ』雑感

 なぜこの作品が、私を久しぶりにしあわせな気分にさせたのか。思いつくままに書いていきます。

 

 才子佳人が恋愛の末に結婚する小説というのは明治前期によくあるのですが、この小説は才子と不美人才女が結婚したところから始まり、それこそ「思ひ思ひ」に文学と政治の分野で活動し、意見の違いや財産の喪失にも関わらずラブラブになるという、一般的な物語構造を逸脱した形になっています。なにやら文学理論で試し切りしてみたくなります。

 

 文学改良と男女同権という目的はどちらも果たされずに終わるのですが、語り手はそれらを戯画的にではなく、好意的に描いているようです。あまり知られていませんが福地桜痴は女性も含めた普通選挙制を晩年に提唱していました。

 

 「ゾラは猥褻だからダメだ」という論敵の批判に対し、光氏は「猥褻ではない」と反論するのではなく、「古典にだって猥褻残忍なものはある」という論旨で反論します。これも当時のゾラ受容とあわせて論じたくなります。

 

 なによりもいいのは、原則として対話で理想を実現していく、風通しのいい雰囲気。この作品自体にはゾラのような暗さはありません。財産をなくす結末も、お金がたまったらまたやるぞという明るいものです。桜痴が思い描いていた近代市民社会とは、こういうものだったのではないでしょうか。