核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

6×6×6=216

 たとえば、『水滸伝』(120回本)の場合。108星以外にも、官軍とか遼軍とか田虎軍とか王慶軍とか方臘軍とか役人とか一般人とかがいて、全部合わせればもう108人ぐらいは捻出できると思うのです。合わせて216人の登場人物からなる、『水滸夢想2』ができないものかと、ただ今構想中です。

 水滸伝に限らず、216、つまり6面体サイコロ1個を3回ふった場合の可能性というのはけっこうな数です。はやりのChatGPTに頼らずとも、216種の断片(性格とか場所とか事件とか)をいくつか用意しておけば、私が以前作ったシナリオ作成表よりはもう少しましな、小説メーカーを作れそうな気がします。

 なぜそうまでランダムにこだわるかというと。私にとってランダムは羞恥心除去装置だとは前にも述べましたが、先入観除去装置でもあるわけです。ゼロから物語を紡ぎ出せる才能の持ち主ならともかく、そうではない私にとって、発想のマンネリを打破するにはランダムは手頃な道具なのです。安打製造機のようなものであって、ランダムで傑作大文学が生れるとは思っていませんが。

 もう一つ理由をあげると、既成の単線的な文学理論への不満が背景にあるのですが。

 これについては、もう少し勉強してからのほうがよさそうです。複線交差的な物語を扱える文学理論というのも、今ではあるのかも知れないし。