初歩の初歩ですが、戦争や原発を止めるためには、戦争や原発建設のさなかに、それらを美化し扇動した人間について知り、批判的に検討するのが第一歩でしょう。
2023年の常識では信じがたいことですが、戦争や原発が大好きな人間というのは存在するのです。利権もからんでいたのでしょうが、彼らの言説にはそれ以上の、戦争や原発へのフェティシズム的な、異常な愛情めいたものすら感じさせます。
「僕自身の気持ちは、非常に単純なのでね。大戦争が丁度いゝ時に始つてく れたといふ気持なのだ。戦争は思想上のいろいろな無駄なものを一挙に無くしてくれた」
(小林秀雄の戦争中の発言)
「核開発は必要だということについてぼくはまったく賛成です。このエネルギー源を人類の生命の新しい要素にくわえることについて反対したいとは決して思わない」
小林秀雄は改竄した全集を出して、戦後には戦争への抵抗者であったかのようなポーズをとり(「僕の書いたものは発禁になった」と書いていますが、小林秀雄の書いたものが発禁になったという事実はありません。小林秀雄が従軍慰安婦を買ったことを書いたための部分的削除ならありますが)、大江健三郎は大震災後にあたかも原発反対派のような言動を繰り返していましたが、だまされてはいけません。
小林の戦争下での戦争賛美、大江の原発建設期での原発賛美はこれらにとどまらず、実に執拗なのです。そのいくつかは当ブログでも過去に紹介しました。
にもかかわらず、小林や大江がなぜ戦争や原発を賛美したのかについての研究はほとんどありません。私も個人攻撃をやりたいわけではなく、その「なぜ」を知りたいのです。なぜ人間は戦争や原発に「まったく賛成」してしまうのかを理解し、戦争や原発を止める第二歩につなげるために。