核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

小林秀雄 「常識」 『考えるヒント』より

 前にも書きましたが、人をもってその言を捨てるな、というのが私の信条です。
 小林秀雄について書き始めるにあたって、私が唯一魅力を感じた随筆、「常識」からはじめることにします。
 なお、「小林秀雄は初出で読む」というのも私の信念なのですが、この一文に関しては入手が間に合わず、やむなく平成13年刊行の『小林秀雄全集第十二巻 考へるヒント』に依拠したことをお詫びしておきます。同書によれば、初出『文芸春秋』1959(昭和34)年6月号だそうで、いずれ必ず目を通しておきます。テーマは、「機械に将棋は指せるか?」です。
 
 「常識で考へれば、将棋といふ遊戯は、人間の一種の無智を条件としてゐる筈である。名人達の読みがどんなに深いと言つても、たかが知れてゐるからこそ、勝負はつくのであらう。では、読みといふものが徹底した将棋の神様が二人で将棋を差(原文のまま)したら、どういふ事になるだらうか」
 (略)
 「『仕切りが縦に三つしかない一番小さな盤で、君と僕とで歩一枚づつ置いて勝負をしたらどういふ事になる』と先づ中谷(宇吉郎)先生が言ふ。
 『先手必敗さ』
 『仕切りをもう一つ殖やして四つにしたら……』
 『先手必勝だ(略)ともかく、先手必勝であるか、後手必勝であるか、それとも千日手になるか、三つのうち、どれかになる事は判明する筈だな(略)すると神様を二人仮定したのが、そもそも不合理だつたわけだ』」
 
 最強の将棋指しが二人以上存在することはありえない、ゆえに機械に将棋は指せないというのが、小林秀雄の「常識」が導いた結論です。
 …たいていの予言がそうであるように、この予言も現実によって裏切られております。女流トップ棋士がコンピューターソフトに敗れたニュースは記憶に新しいですし、ムーアの法則が正しいとすれば、男流名人が敗れるのも時間の問題にすぎないでしょう。
 ただ、この件に関しては小林秀雄のまちがいを責めるよりも、その思考の過程に私は興味を感じるのです。将棋というゲームの本質は先手必勝か、後手必勝か、それとも千日手なのか。人間が絶対勝てない最強ソフトどうしを戦わせれば結論は出るのかも知れませんが、それまでに人類の英知をしぼって考えておきたいものです。
 人類の英知をしぼって本質を考えるべきゲームは、将棋以外にもあると思います。最強の千日手定跡、誰かが考えつかないものでしょうか。
 
 追記 この話題についてのご批判をいただきましたので、2012年2月26日に弁明を書きました(http://blogs.yahoo.co.jp/fktouc18411906/archive/2012/02/26)。あわせてご覧ください。