修士論文は『明暗論・権力と自由』でしたし(歴史から抹消したい)、最初の博士課程入試論文は『横光利一「機械」論 暗室の中の秘密』でした(これはハードディスクごと消滅したので、地球上のどこにも残ってないはず)。
それがなんでこうなったのかと言いますと、近代人特有の心理だの自意識だのをいくらいじくりまわしたところで、中学浪人時代から私が思い描いていた、平和のための文学にはたどり着けないと気づいたからなのです。
大は戦争から小は兄弟げんかに至るまで、すべての人類は潜在的に平和を求めています(ヒットラーやムッソリーニが徴兵忌避者だったのをご存知でしょうか?戦前の新聞を読むと、「独ヒ総統の世界平和演説」なんて記事が大量に出てきます。自分の家に爆弾を落とされるのが好きな人間などいないのです)。
ではなぜ争いが絶えないのか。問題は個人の「内面」よりも、諸個人間の「関係」にあると私はあたりをつけています。そして、批評家からはくず扱いされてきた明治の政治小説や社会小説の中に、私は「内面」ではなく「関係」の病を扱う文学を見出したのです。
「どちらが真の叡慮やら恐ながら下賤の小妾(わたくし)どもには更に合点が参りません、まこと討幕の御召で御坐あるならばナゼ大政返上の奏問を御嘉納には相成ました?」
天皇の戦争責任を問うた最初の文学作品といえるでしょう(コピペしたら字の色がかわっちゃいました。すみません)。「真の叡慮」(内面)なんかはどうでもいいのです。勅語の二重売りが、戦争の惨禍を現にもたらしていること。それが問題なのです。
矢野龍渓。福地桜痴。村井弦斎。遅塚麗水。木下尚江。それぞれ立場は異にしても、争いを生み出す人間社会の「関係」の病を問い続けた彼らに、私は学びたいと思っています。漱石や鴎外や、ましてや小林秀雄や大江健三郎なんかではなく。