核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

松元雅和 「正戦論の時代における平和主義の可能性」(『創文』528号 2010・3)

 8月5日、石原慎太郎都知事が、核を持つ周辺諸国に対抗するため、日本も(原爆のシミュレーションも含めて)強力な軍事国家をめざすべきという趣旨の発言をしたそうです(毎日新聞8月6日 出典は下記YAHOOニュース)
 こうした核武装論が一定の支持を集めている現状で、核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログとしては何ができるか。まず議論の土台として、平和主義なる語を明確に定義することからはじめたいと思います。
 松元雅和 「正戦論の時代における平和主義の可能性」なる論文では、戦争と平和についての思想の区分として、Martin Ceadelの五類型を紹介しています(以下は同論文13ページ表1より)。
 
   1 軍事主義(Militarism)
 戦争は人間の発展に必要でありプラスの善である。侵略戦争も含め、あらゆる戦争は正当化される。
   2 十字軍(Crusading)
 侵略戦争は、場合によっては秩序や正義を促進し、長期的に戦争を防止・廃止するための一助となる。
   3 防衛主義(Defencism)
 侵略戦争は常に不正であり、自衛戦争は常に正しい。
   4 平和優先主義(Pacificism)
 戦争は改革によって防止・廃止されうる。全ての侵略戦争は禁止され、一部の自衛戦争も禁止されるが、侵略を排除するための軍事的防衛の必要性は受け入れる。
   5 絶対平和主義(Pacifism)
戦争に参加したり、戦争を支持したりすることは常に許されない。
 
 人類がこれまで戦争と平和に関して紡いできた無数の言説も、たいていはこの五類型のどれかに入るかと思います。議論を行う前に、まず自分の立ち位置がどのへんにあるかを明確にすること。議論の進展に応じて立場を変えるのは自由ですが、そうなるに至った理由を明らかにすること。それが当ブログからの提案です。
 私が石原慎太郎をはじめとする再軍備論者・核武装論者を信用できないのは、時流や議論の都合によって1~4を好き勝手に使いわけている不誠実さが見受けられるからです。まあ、戦後平和主義者を称する人のなかにも、3~5をその場の都合で使い分けるような人がいることも事実ですが。
 
 私自身、「5番!」と高らかに宣言したいものの、核兵器および通常兵器を廃絶するための誰もが納得できる代案を思いつけずにいるのが現状です。今すぐ自衛隊と安保条約を廃止したとして、東アジアの平和が保てるかどうか。たぶんむりでしょう。なので、これ以上の軍備拡大には反対しつつ(もちろん核武装にも反対です)、自衛のための軍備を非軍事的な平和維持手段に置き換えること。いわば「4.8」ぐらいが現在の私の位置です。
 
 パシフィシズム(平和優先主義)からパシフィズム(絶対平和主義)へ。実現可能かつ倫理的な平和主義理論の構築をめざして、当ブログは「4.8」を「5」にするための努力を続けるつもりです。