核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

ドラゴンを倒すのではなく・・・

 暴力による解決がさらなる暴力の連鎖をもたらす、という例に、人類の歴史は満ちています。たとえば、ハンナ・アレント共産主義者から転向した保守主義者についてこう述べています(「エクス・コミュニスト」 1953)。
 
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    彼らは、共産主義と戦うためには共産主義者たちと同じようなやり方が必要だといい、密告やスパイ、秘密警察じみた活動などをも正当化していく。ドラゴンと戦う者は、みずからもドラゴンにならなければならないというわけである。しかし、アレントは皮肉っぽくいう、「もし我々自身がドラゴンとなるのであれば、二匹のうちどちらのドラゴンが最後に生き残るのかはたいした問題ではなくなるだろう。戦いの意味そのものがなくなってしまうだろう」
   川崎修 『現代思想冒険者たち17 アレント―公共性の復権』 講談社 1998
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    ・・・アレントは以上のような立場から、「世界中で自由の大義を守るためにアメリカには核兵器が必要だという当事の冷戦イデオローグたちの考え方の欺瞞性を突いた」、「ヨーロッパと原子爆弾」という論を1954年に書いています(川崎著より。「エクス・コミュニスト」ともども原文は未見)。
    ドラゴンを倒すのではなく、無力化すること。共産主義者保守主義者は一笑にふすでしょうが、その探究こそ知識人を自認するものの仕事だと私は考えております。