核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

石川淳「アルプスの少女」(1952(昭和27)年)

 以前にも紹介した、日本人文学者によるハイジの続篇。引用は『石川淳全集』第5巻によります。初出は同全集によれば『文藝』1952年11月特別号(未見)。ついでがあったら確認してきます。
 「戦争が起こり、ペーターは兵士となる。平和が戻ったとき、ペーターとクララは再会しアルムに向かう」(ウィキペディアより)までは判明していたのですが、復員兵ペーター(ここでは「ペーテル」と表記)と戦災孤児クララのその後は。ネタバレにつき文字色を変えて引用します。映像と音声はご想像におまかせします。
 
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 「ハイジが待つてゐるだらう。」
 (略)
 「ペーテルはハイジが好きね。(略)あたしは。」
 「そりゃ、きみだつて、ハイジとおなじぐらゐ好きだよ。」
 「男の子つて、だれでもみんな好きになつちやふのねえ。」
 クララもいくさで苦労したせゐか、だいぶませた口をきくやうになつた。
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 いい雰囲気になってます。どうにかアルムのモミの木まで帰り着くのですが、そこにはハイジもアルムぢいさんもいませんでした。
 
   ※
 「あたしたちはここにぢつとしてゐてはいけないわ。すぐに立つて、また行かなくちや。」
 「どこへ。」
 「もう一度、山の下の、あの遠くの町のはうへ。」
 さういつて、クララもまた目がくらくらとしてよろめいたが、モミの木の幹にしつかりつかまつて、力をふりしぼつてさけんだ。
(略)もう一度、あたしたちの手で山の下の世界に、むかしよりもみごとな、あの虹のやうにうつくしい町をつくらなくちや。」
 クララの小さい靴はやぶれて、ぱつくり口をあけて、その口からのぞき出たはだかの足に、ひからびた焼跡の砂が白く光つた。
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 焼跡のクララが立った。戦後文学してます。人類を戦争から救うのはハイジのような底なしの善意ではなく、現実の悲惨を知った者たちだということなのでしょう。
 みつばちマーヤのパロディにもいえることですが、大人向け改作童話にありがちな悪意はほとんど感じられません。まじめな意図で書かれた作品だと思います。低燃費のCMとは大違いです。
 ところでロツテンマイヤアさんはどうなつたんでせうか。おしへてモミの木よ。