核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

湯川秀樹・小林秀雄 対談 「人間の進歩について」

 また初出との異同か。そう思われるかもしれませんが、本当にそう言いたいのはこっちの方です。
 小林秀雄が戦時中に書いたヒットラー礼賛だの特別攻撃隊賛美だのを、戦後の全集ですべて削除したり逆の意味に書き換えていることは、既に何度か指摘しました。しかし、まさか戦後の、それも人様との対談でやらかすとは。もっと早く初出を見ておくべきでした。私もまだ小林秀雄を甘く見ていたようです。
 以後、「初出」とは『新潮』1948(昭和23)年8月号(国会図書館所蔵マイクロフィルム)を、「全集」とは新潮社『小林秀雄全集第八巻 モオツァルト』(平成13年初版)を指します。
 語尾や言い回しの異同は大量に(ほぼ全ページに)あるので、決定的に意味の異なるものをいくつか指摘します。
 
   ※
 初出4ページ        湯川発言「電子や光子の場合に適用してみて」
 全集226ページ同箇所 湯川発言「中性子や中間子のような不安定な素粒子の場合に適用してみても」
 
 初出20ページ 小林発言「ドストイエフスキーなどは進まない人です。若い頃にちやんと定まつちやつた人です」
 全集254ページ同一箇所「ドストエフスキイなどは進展するよりもむしろ深化して行った人です」
 
 初出15ページ 小林発言「そこに音楽の霊が現われて来る・・・・たとえばもつと後からの音楽家ベートーヴェンなどになると、そのうちにいろ(踊り字)な思想が入り、観念が入り、いろ(踊り字)ごたごたして来るのです」
 全集248ページ同一箇所「そこに音楽の霊が現われて来る・・・・・・(以下無し)」
   ※
 
 後半になるほど、初出にはない小林発言が全集版では大量に見られ、湯川がそれに「なるほど」等と同意している場面が多く見られます。
 まさか湯川秀樹が「電子や光子」と「中性子や中間子」をごっちゃにしていたとは思えませんし、初出も全集も同じ新潮社です。全集収録かその前の段階で小林秀雄が手を加えたとしか思えません。
 なお、対談の内容(あるいは無内容)についての感想自体に変更はありません。マッハの実証主義の評価をめぐる対話の部分だけは、初出も全集も変わりませんでした。小林秀雄は決して反省などしないのです。