核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

なだいなだ「小林秀雄なんて怖くない」(『ちくま』 2012年9月号)

 以前に存在を教えていただいてから、入手するまでに手間取ってしまいました。『ちくま』は近くの書店にはなかったのです。
 1964年の講演をもとにした、小林秀雄「常識について」(当ブログで以前に扱った「常識」とは別物)への、なだ氏の感想。
 まず小林が「常識」のフランス語をカタカナで「サン・コマン」と書いている件。これは「サンス・コマン」が正しい発音だそうです
 まあ、なだ氏自身も書いているように、こんなのは大した間違いではないのでしょう。
 もう一つの指摘は、小林が「ボン・サンス(良識)とサンス・コマン(常識)を同じものとしているのは、「発音とは関係ないもっと大きな誤りだ」という指摘です。なだ氏は学生時代に、デカルトパスカルの研究家の前田陽一先生から、くどいほど両者の違いを強調されたそうです。
 なお、私はフランス語は一字たりとも知りませんので、原語でのボン・サンスとサンス・コマンのニュアンスの違いはわかりません。
 ただ、日露戦争後に書かれた矢野龍渓の小説「不必要」に、「純善」と「時善」という造語で、この両者の違いらしきものが問題にされていたことが思い出されます。世界全体の大平和こそ「純善」、人類にとって普遍の善であり、戦争に勝つとか国が富むとかは「時善」すなわち一時代だけの善にすぎないと。
 なだ氏は小林秀雄が「良識」と「常識」を混同していた件をそれ以上深く追求していません。が、戦前戦中の小林秀雄について思うとき、彼はついに「良識」とは無縁だったと思うのです。