昨日は更新しそびれたので2連続で。前回とは無関係の話です。
『指輪物語』は中学生の頃からの愛読書なんですけど、私はなかでも4巻(『新版 指輪物語 4 二つの塔 下』(評論社 1992)、フロドとサムとゴクリ(原語および映画ではゴラム。以下ゴクリで統一)の地味~な三人旅のくだりが大好きでして。特に戦闘もなくヒロインも出ず、ただ黙々と闇欝な荒野を旅する、スペクタクルとは程遠い話。こんなのお話にはなりっこねえですだ旦那。
とにかくゴクリ出ずっぱり。ストーカー半魚人。二足歩行するゴキブリのごとく、言動のことごとくがきもい存在です。
こっちが強く出ると卑屈になるけど、ちょっと隙を見せるとつけあがる。そしてなにより、最終的にはフロドたちを殺して指輪を奪うことしか考えてない。
さっさと始末すればよさそうなもんですが(サムは何度もそう言ってます)、フロドは亡き(?)魔法使いガンダルフとの対話を思いだし、どうしても殺せません。
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「わたし(引用者注 フロド)はゴクリには少しもあわれみを感じないんです。あいつは死んだっていいやつです。」
「死んだっていいとな! たぶんそうかもしれぬ。生きている者の多数は死んだっていいやつじゃ。そして死ぬる者の中には生きていてほしい者がおる。あんたは死者に命を与えられるか?もしできないのなら、正義の名においてそうそうせっかちに死の判定を下すものではない。それもわが身の安全を懸念してな。すぐれた賢者ですら、末の末までは見通せぬものじゃからなあ」
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で、いつかは本当に改心するかもと思って放置しているうちに、とんでもない裏切りをやらかすわけです。
中学生時代の私は、ガンダルフの言葉に深く共感しました。
今でも、たとえ悪人でも「死んだっていい」なんてことは思わないように努めてはいますが、卑劣な存在を憐れみすぎるあまり、善良な第三者が傷つくようなことは、決してしてはならないと思うのです。フロドのゴクリへの憐れみは、もう少しで忠実なサムを死なせるところでした。
悪を憎むのでも憐れみすぎるのでもなく、あくまで公正に。それが現在の私の信条です。