核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

ガンジーと日本

 非暴力主義について語る以上、いつかはガンジーについても語らねばと思ってはいました。
 本名モハンダス・カラムチャンド・ガンジー(1869~1948)。よく使われる「マハトマ・ガンジー」というのは敬称です。「ガンディー」と表記されることもあり、それに敬称をつけて「ガンディージー」と呼ばれることもあったりします。ここでは「ガンジー」表記を使用しますが、書名や引用文内ではそれぞれの表記に従います。
 このたびガンジーと日本軍国主義についてのコメントをいただきましたこともあり、ガンジーと日本との関わりから入ってみます。
 まず、コメント欄に書いた、ガンジー日露戦争での日本の勝利を知って感動したという件について。ガンジーが戦争を支持したのはこの件に限ったことではなく、1902(日露戦争の二年前)のボーア戦争、1906年のズールー族反乱、1914年の第一次世界大戦のそれぞれで、野戦衛生隊を組織し、前二者では実際に戦場に赴いています(マハトマ・ガンディー『わたしの非暴力 1』(みすず書房 1970)21~22ページ)。
 しかし、そうした戦争体験を経た後の1920年、ガンジーは「剣の教義」と題した一文で非暴力主義を提唱し、翌年の「なぜわたしは前大戦に協力したか」で、「今日ではわたしは、自分が帝国の臣民であると考えていたのは間違いであったことを知っている」と告白するに至ります(いずれも前掲『わたしの非暴力 1』収録)。
 そして第二次世界大戦期の1942年7月。ガンジーは公開状「すべての日本人に」を発表し、「かりにあなたがたが勝つとしても、それは、あなたがたが正しかったということの証明にはならないでしょう」と宣言しています(『世界の名著 63 ガンジー ネルー』(中央公論社 1967)27~31ページ)。
 この「日本への親近感と日本の軍国主義非難とが、分かちがたくからみあっている」(蠟山芳郎氏の同書解説より)呼びかけは、当時の日本人にまじめに受け止められることはありませんでした。
 私はガンジーの信奉者ではありませんが、不当な誤解が流布するのを見過ごすわけにはいかず、こうして長々と反論を書いた次第です。