核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

後藤新平「文装的武備論」(後藤新平述『修養の力』1918(大正7)年)収録

 『三十年後』には後藤新平のアイディアも入っているようですが(星新一『明治の人物誌』)、少なくとも、軍備廃絶論は違うようです。
 『三十年後』の半年あまり後、1918年11月30日発行の後藤新平述『修養の力』に収録された、「文装的武備論」がその根拠です。
 「今回の世界戦争」が終結し、今後の世界は平和主義に進むか、それとも帝国主義かの論が盛んだった時代が背景。
 後藤は平和主義と帝国主義を、「二大塊を左右に有するダンベル」にたとえ、どちらに偏するのも間違いと断じます。

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 平和主義者が云ふ如く、世界に永久の平和が来たり。全然戦争の悲惨から人類が免れ獲るならば、誠に欣(よろこ)ぶべく祝すべき事であるが、
 (略。科学が発達し、ますます兵器の破壊力が高まりつつある現状では)
 平和主義のみに依つて、平和を維持せんとするが如きはこれ、実に愚中の愚と云ふべきものであつて、国家として断じて執るべからざる政策である。
 (近代デジタルライブラリー 後藤新平『修養の力』88/144)
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 平和主義を批判する一方、後藤は従来の帝国主義軍国主義もまた、「武装的文弱」として退け、文武のいずれにもかたよらない「文装的武備論」を掲げています。
 星一『三十年後』の軍備廃絶論は後藤新平によるものではないどころか、むしろ後藤の信念にまっこうから逆らうものであった。これだけは確認できました。