核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

戦争とは「戦い」なのか?

 「日本とロシアが戦った」「日本人はアメリカ人と戦った」といった言い回しに、私はつねづね違和感を覚えています。

 戦争の本質は「戦い」なんて美しい言葉で表現すべきものではなく、せいぜい「戦わせ」であって、「自分たちが選んだわけでもない指導者によって、日本人はアメリカ人と戦わされた」という表現のほうが事実に近いのではないかと。

 反論はあるかも知れません。日露戦争の講和直後には日比谷公園で三万人の講和反対集会が開かれ、太平洋戦争の降伏直後には切腹したりクーデターを企てる軍人が出た。これらは二つの戦争が「戦わせ」ではなく、国民総意の自発的な「戦い」であった証拠ではないかと。

 しかし、私はそうは思いません。というのは、東京日比谷で講和反対を叫んだ三万人は、旅順や奉天の最前線に駆り出されずにすんだ三万人であること。これも東京で切腹やクーデターを図った軍人は、ニューギニアインパールの最前線にいかずに済んだ、他人を「戦わせる」側の立場であったこと。最前線で「戦わされ」ていた兵士から講和反対、降伏反対の動きはありませんでした。

 以上の理由から、戦争を「戦い」と表現することは不適切であると、私はかつて論文でも主張したのですが、誰も相手にしてくれないのでまた書いた次第です。