アウシュヴィッツの後で詩を書くのは野蛮かも知れない。少なくとも、日本近代詩に関しては。
そもそもの出発点である『新体詩抄』がすでに、
「将の命令だ。どんなに無茶でも兵士は逆らわずに黙って死ね」(意訳)
という内容なのです。そんな日本近代詩の代表とされる北原白秋が、
「空母は見る見る沈んでく
一二三四五六七」
という詩を書いたのは必然です。何の進歩もありません。
では、戦争と死に抗う詩は日本近代にはないのか。
ないこともありません。前にも名前を出した、宮崎湖処子の「厭戦闘」。
※
厭戦闘
かちぬまけぬと世の中の、
のゝしりさわぐ声きくは、
木ずゑをはらふ秋風の、
音づれよりもなほつらし。
わが世たのしむ民のため、
いくさを廃める術あらば。
(以下略)
※
一八九七(明治三〇)年、つまり日清戦争(一八九四~九五)後の詩です。
『新体詩抄』や、上記北原白秋詩にもみられる七五調であり、形式や巧拙の点ではそれらと同工異曲なのかも知れません。しかし、内容には天地の差があります。
「いくさを廃める術あらば」。膨大な北原白秋全集を全部めくっても絶対に出てこない一行です。オンリーワンです。こういうのこそ本物の詩だと、私は思います。