核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

小谷野敦『『こころ』は本当に名作か 正直者の名作案内』(新潮新書 二〇〇九) その2

 『こころ』の低評価には賛同できましたが、それ以外の古典の評価となると、すべて同意というわけにはいきませんでした。以下、「そこは譲れない」作品への論を。

 

 「落ちがあるといえば、星新一などがたくさん書いた、SFの一ジャンルのように見られているショート・ショートというのがあるが、実は私は、ショート・ショートを面白いと思ったことがない」(35頁)

 

 「なおギリシャ劇には、アリストファネスの喜劇もあるが、これはとうてい現代人が読んだり観たりして面白いものではない。「笑い」というのは文化依存的で、時代と地域が違うとまるで通用しないものである」(67頁)

 

 「(川端康成の)『浅草紅団』は、当時の浅草風俗への関心から言及されることがあるが、小説としては破綻している」(114頁)

 

 「上田秋成は、(略)当時、「純文学」らしいものがほかになかったから、過大に評価されている作家である。『雨月物語』や『春雨物語』は、確かに面白いが、たとえば『源氏物語』や、古代、中世の説話集の脇に置いてみると、それほどのものではない。シナ典拠のものもあるし、モーパッサンの短編のほうが、分量もあるしよほど読みでがある。「鳥なき里のこうもり」という感じが、秋成にはするのである。秋成を読むより、その論敵だった本居宣長を読む方がいいし、宣長のほうが、遙かに偉大な文学者である」(196頁)

 

 星新一ショートショート川端康成『浅草紅団』、上田秋成雨月物語』。このあたりは私の文学好きを形成した作品群なので、そこは個人的に譲りたくないところです。

 アリストファネスの喜劇は……まあ、普遍的とはいいがたいかな。読む分には面白いと思うけど、劇場で観たいとは思いません。

 なお本居宣長上田秋成の、日本神話の真贋をめぐる論争については、私は大学一年生の時にレポートを書いたのでした。「宣長のほうが、遙かに偉大な文学者」については少し異論を立てたいところです。それは星新一や浅草紅団への評価と違って、好みの問題だけでは片付かない気がするので。