古代ギリシアの喜劇詩人アリストパネスの最後の作品、『プルートス』(富の神)については、以前に扱いました。
アリストパネス『プルートス』(紀元前三八八年 『ギリシア喜劇全集4』(岩波書店 二〇〇九)より) - 核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ (hatenablog.com)
善人が貧しく悪人が富む社会をよくするために、富の神の眼を治す話です。善人が富み悪人が貧しくなった、その後の社会も描かれています。
富の神とか善悪といった古代的な概念が使われているためにぴんとこなかったのですが、これ、「パターナリズム」という現代的なトピックに翻訳できるのではないでしょうか。
「パターナリズム(英: paternalism)とは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう」(ウィキペディア「パターナリズム」の項より)
富の神でなく富の紙、つまり紙幣を貧しい人々に支出する話だと読めば、おおMMTじゃないか。
富の神の眼をよくする計画への反論も、『プルートス』劇中では語られています。ペニア(「窮乏」の女神)が言うには、手工業者がまじめに働くのは私(ペニア)のおかげだと。彼らが豊かになったら働かなくなり、お金はいっぱいあっても生活必需品がない社会になるとも。
私はギリシア語どころかギリシア文字もまともに覚えられない素人なので、自分で論文を書く力はありません。どなたか、古代ギリシアと経済学の双方に強いお方に、この切り口で書いてほしいものです。