核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

村井弦斎の北海道旅行

 おなじみの、黒岩比佐子『『食道楽』の人 村井弦斎』(岩波書店 二〇〇四)より抜粋。

 

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 六月一日、寛(引用者注 一八八二(明治一五)年のこと。寛(ゆたか)は弦斎の本名)は横浜港から九重丸で函館へ向かった。当時、横浜から北海道へは海路で二日かかっていた。寛はこの旅行中、日記をつけている(7)。それによると、北海道では函館に二カ月、江差に二カ月滞在し、帰りに宮城、山形、福島と東北地方にも足を延ばした。およそ半年にわたる長旅だった。

 弦斎について書かれたものの中には、「シベリアへ渡った」としているものがあるが(8)、その事実はない。おそらく、この北海道行きがシベリア行きと誤って伝えられたのだろう。また、「家計を助けるための行商の旅」だとするものもある。だが、日記にはそうした記述はない。

 (五九頁)

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 その日記は私は見ていませんでした。いつもながら、黒岩さんのいきとどいた調査には頭が下がります。去年の弦斎まつりでも話題にのぼったのですが、黒岩さんは弦斎の話を聞くたびに手帳を見て、「はい、それは存じております」が口癖だったそうです。

 「それは存じませんでした」が口癖になりつつある私とは大違いです。

 さて、半年にわたる大旅行。アイヌとの遭遇はあったのか。小説「水の月」や「美少年」への反映やいかに。いずれまた神奈川近代文学館で調査します。