核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

小野寺拓也・田野大輔『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(岩波ブックレット 二〇二三)

 独裁についてあれこれ考えていたら、注文していた本が届きました。やはり、専門家による先行研究を学ぶのは大事です。

 最近、ネット上などで流行る「ナチスは良いこともした」説に、一つ一つ最新の研究を挙げて反論しています。アウトバーンや景気回復は前政権の発案だった、労働者や環境に手厚く見える政策も、実は戦争遂行のためだった、等。納得できました。

 ただ、賛成できない主張もありました。

 「マルクス主義の蛮行はどうなる」「共産主義国だって残虐行為をしたではないか」という「そっちこそどうなんだ論法」の是非について。同書ではそれらの主張は「ナチス戦争犯罪を相対化」「ナチスの免罪」「悪の相殺」であると批判しています。

 が、死者の数だけを比較するならば、マルクス主義の犠牲者はナチスの犠牲者よりはるかに多いのです。少なくとも私は、決してナチスを免罪したりその悪を相殺したりするためではなく、ヒトラーマルクスをともに絶対悪と思えばこそ、彼らを批判する立場に立っているのです。

 そして岩波書店という出版社に関わる「岩波文化人」たちの多くは、そんなマルクスや、マルクス主義を掲げる独裁体制を擁護してきました。1960年の「大躍進」(という名の大飢餓。アウシュヴィッツ以上の大量死)下の中国を「理想的にうまくいっている」と断言した大江健三郎はその典型です。大江は「あらゆる責任をとりながら誓える」とも書きましたが、毛沢東政権の悲惨が明らかになった後も、死に至るまで何の責任もとりませんでした。独裁を支えるのはそういう人間です。

 要は、絶対悪に至る道は一つではない、ということなのです。反共を掲げるナチスが悪だったということは、その反対側の共産主義が悪ではないということを、決して意味しません。

 この本はナチス政権下の事実については勉強になりましたが、より踏み込んだ「独裁の止め方」については、どうも学べなかったようです。それはナチスを「絶対悪」と呼び、マルクス主義やその他の独裁体制との比較を拒む、著者たちの視野の狭さゆえです。