核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

彼が思い違いをしていることにわたしは驚きはしない。Xenophon : Hellenica

 クセノフォン(Xenophon。表記はクセノポンだったりクセノフォーンだったりします。ソクラテスの信奉者で騎兵戦術のパイオニア)の”Hellenica”(ギリシャ史。第2巻第3章)より、歴史上の人物としてのクリティアスのひとコマをご紹介します。 引用はバルバロイ様の全訳によらさせていただきます。時代はクリティアス最晩年の三十人政権期(紀元前404~403)。
 
 
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 初めのうちは、 クリティアスはテラメネスと考えを同じくし、友であった。だが、自分が民衆のせいで亡命者となったとはいえ、あまりに多くの人たちを殺害するようになったので、テラメネスはこれに反対して、民衆によって尊敬されているからといって、善美なる人たちに何ら悪事を働いていないなら、殺すのは尤もなことではない、と言った。
 
 3000人の登録市民以外から武器をとりあげて、富裕層や在留外国人に財産没収と死刑を乱発するクリティアスに、もと同志のテラメネスさえついていけなくなったわけですね。
 
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そして、テラメネスが出席するや、 クリティアスが立って以下の発言をした。
 「評議員諸君、あなたがたの中に、適度な数以上の者たちが刑死したと考えている人がいるなら、国制が変革するところではどこでも、そういったことが生じるのだということに思いを致すがよい。
 
 「革命に犠牲はつきもの」として、クリティアスは批判者テラメネスをコトルノス〔悲劇役者が舞台で履く底の厚い長靴で、左右いずれの足にも履けるような造りになっていた〕、要するにふたまた扱いし、ついには死刑を宣告します。テラメネスの弁明は。
 
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しかし、 クリティアスが思い違いをしていることにわたしは驚きはしない。なぜなら、事件(引用者注 レスボス海戦)が起こったとき、彼はたまたま居合わさず、テッタリアで プロメテウスといっしょに民主制樹立を画策し、農奴たち(penestes, pl. penestai)をその主人に対して武装させていたのだからである。
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とにかく、この男がかしこでやっていたようなことが、当地では何も起こらないでほしいものである
 
 クリティアスこそコトルノスだという趣旨の批判なのですが、私にはやや意外でした。民主性樹立に農奴蜂起。アテナイ三十人政権での彼の行動とは真逆ではありませんか。ここだけ読むとテラメネスのほうが反民主制みたいです。
 長くなったので、続きと私の感想はまたにします。
 果たしてテラメネスとクリティアスの決着はいかに。次回もご期待ください。