核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

報知四天王なのに8人いるよ・・・宮武外骨 『明治奇聞』より

 回線不調により、あやうく連日更新記録をストップしかけたアンタルです。
 さて、1890(明治23)年時点での、報知(郵便報知新聞)四天王といえば、
 
  村上浪六(むらかみなみろく。代表作「三日月」)、
  村井弦斎(むらいげんさい。代表作「小説家」)、
  原抱一庵(はらほういつあん。代表作「闇中政治家」)、
  遅塚麗水(ちづかれいすい。代表作じゃないけど「電話機」)
 
 の記者兼小説家4人と言われております
 ところが、宮武外骨 『明治奇聞』(河出文庫 1997 原著は1925~26)の113ページ、「報知新聞の四天王」によると、「明治十五年頃、同社の四天王と称せられた四人」は、
 
 矢野文雄  犬養毅  尾崎行雄  箕浦勝人
 
 だそうです。 どこのクロマティ高校だ。
 矢野「龍渓」文雄が社長に出世した後も、犬養「話せばわかる」毅と、尾崎「憲政の神様」行雄は記者をつづけていたはずです。箕浦勝人については未調査。
 この8人が、
 「とりあえず・・・着席」(ガタッ)
 「どうすんだよ矢野ちゃん。四天王が8人いちゃシャレにならねえ」
 とか会議してる光景を想像すると、なんかほほえましく・・・ならないか。そもそも自称してるわけじゃないし。