回線不調により、あやうく連日更新記録をストップしかけたアンタルです。
さて、1890(明治23)年時点での、報知(郵便報知新聞)四天王といえば、
村上浪六(むらかみなみろく。代表作「三日月」)、
村井弦斎(むらいげんさい。代表作「小説家」)、
原抱一庵(はらほういつあん。代表作「暗闇中政治家」)、
遅塚麗水(ちづかれいすい。代表作じゃないけど「電話機」)
の記者兼小説家4人と言われております
だそうです。 どこのクロマティ高校だ。
矢野「龍渓」文雄が社長に出世した後も、犬養「話せばわかる」毅と、尾崎「憲政の神様」行雄は記者をつづけていたはずです。箕浦勝人については未調査。
この8人が、
「とりあえず・・・着席」(ガタッ)
「どうすんだよ矢野ちゃん。四天王が8人いちゃシャレにならねえ」
とか会議してる光景を想像すると、なんかほほえましく・・・ならないか。そもそも自称してるわけじゃないし。