核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

大貫俊彦 「『三日月』に見出す〈詩〉の材」(『日本文学』2011年9月号VOL.60)

 おお、まさか『日本文学』誌上で報知四天王の名を目にしようとは!
 
 「田山花袋は『明治小説内容発達史』(文学普及会、大正四年八月)のなかで、『村上浪六も原抱一庵、村井弦斎、遅塚麗水と共に思軒門下の四天王を以て目せられた人で、『三日月』(二四年)の一篇を以て彼は一挙にして読書会の流行児となった(略)
無論、文学上の価値を云々するに足りるものではない(略)
そこで逍遥を主として、当時の評論界の立物たる鷗外、忍月、不知庵などはいづれも撥鬢小説の撲滅を計る』」
 大貫俊彦 「『三日月』に見出す〈詩〉の材―明治二四年、内田不知庵が村上浪六の登場に見た「小説」の可能性と危惧―」(『日本文学』2011年9月号VOL.60) より
 
 ・・・撥鬢(ばちびん)小説というのは江戸の町奴(まちやっこ。任侠の徒)を主人公にした大衆小説のことです。
 一応、『三日月』の近代デジタルライブラリー版を貼っておきます。2ページ目あたりからグロ描写がありますのでご注意を。次郎吉さんパねぇっす。
 しかし一般読者の好評にもかかわらず、小説家浪六は批評家不知庵の期待に応えきれなかった、というのが大貫論文の趣旨のようです。
 正直なところ、私も村上浪六はあまり評価していません。『三日月』も『後の三日月』も読んではみたのですが。
 「侠」という概念は、このブログでもたびたびとりあげてきた「気概」にも通じるはずなのですが、浪六作品には「侠」ゆえに不毛な争いを繰り返す者たちを批判的に眺める視座が決定的に欠けているのです。
 しかし、それを批判する不知庵の「ドラマ」や「詩(ポーエトリイ)」の概念が果たして何ほどのものであるか。
 不知庵自身の書いた、「社会百面相」だの「文学者となる法」のくだらなさを見る限り、彼の理想は浪六にすら及ばないと私は考えます。ましてや、弦斎、麗水、龍渓を批判するなどとは。
 龍渓や報知四天王の小説は果たして「文学上の価値を云々するに足りるものではない」(田山花袋)かどうか。ここからは私自身の研究をもって答えることにします。
 (菅原 健史)