核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

村上浪六はわからない……。

 前回紹介した資料で、村井弦斎に並ぶ売れ行きを評価されていた「浪六」。

 本名は村上信(むらかみ まこと)といい、「ちぬの浦浪六」の筆名で、一八九一(明治二四)年に出した撥鬢(ばちびん。侠客のこと)小説『三日月』が好評を博し、流行作家村上浪六として、弦斎すらしのぐほどの売れっこになりました。村井弦斎村上浪六、遅塚麗水、原抱一庵で「報知の四天王」と呼ばれたりもします。

 その『三日月』、私も勉強のために読んでみたのですが……正直言って苦痛でした。

 同時期に連載された、遅塚麗水『電話機』や村井弦斎『匿名投書』に匹敵する作品とは思えません。原抱一庵『闇中政治家』と比べても、娯楽作品として劣るようです。文章も難解で、なんでこれが明治の一般読者に受けたのか、さっぱりわかりません。

 売れ行きのよさと、姓が似ていることからか(?)、「弦斎浪六」と並び称されることも多いのですが、作風に共通点があるとは思えません。一九八〇年代に、さして作風が似ているわけでもない村上春樹氏と村上龍氏が、「W(ダブル)村上」とか呼ばれた現象に似ています。今ではどっちが上かなんて誰でも……やめとこう。

 参考のためにウィキペディアの同項も見たのですが、撥鬢小説や歴史小説のほか、随筆集らしきものも残しています。弦斎や他の四天王ふたりについて何か書き残していないか、デジコレあたりで探してみます。