核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

木下尚江 「自己生存の要求」

 尊敬する木下尚江の文でも、ダメなものはダメというのが私の主義です。ただ、「露西亜が南の方」だけ読まれると、木下尚江が粗雑な善悪二元論者だったかのように思われかねないので、そうではない文も紹介したいと思います。

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 悪人を主人公にして書いて居たところ、それが段々書いて居るうちに悪人でなくなるのです。悪人とは思へなくなるのです。これは其人が悪人ではない。社会が這 (こんな)人にして仕舞つたので、其人には何の罪も無いのだといふやうな風に、世の中には悪人といふものが無いやうに思はれて来たのです。汝の敵を愛(いつく)しめといふことがあるが、どうもそんな心持になつて来たのです。これは私にとつて余程不思議なことで、それまでは、一日でも敵が無くては居られなかつた私です。何でも悪いと思つた奴は用捨無く追窮してまで非難もし、攻撃もした私が、敵を愛むといふやうになつたとは、実際驚かるゝ変化では無いでせうか。それが何の為めかといふと、自分の書いて居る小説の為めに感化されたのだから、実際不思議です。
 「自己生存の要求」『文章世界』 1908(明治41)年11月15日 教文館 『木下尚江全集』第二十巻より引用
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 「悪いと思つた奴は用捨無く追窮してまで非難もし、攻撃もした」尚江と、「敵を愛むといふやうになつた」尚江。どちらが本質かは知りませんが、彼の小説に「感化された」読者がけっこう多いのは客観的な事実です。