核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

「マルクスの悟達」の異同について

 小林秀雄の 「マルクスの悟達」なる文章について、初出(『文藝春秋』1931(昭和6)年1月号)と第五次全集(『小林秀雄全集第二巻 Xへの手紙』新潮社 2001(平成13年))収録文の異同一覧を作りかけたのですが、「1」(初出では「上」)を終えた時点で根気が尽きました。現時点で38箇所。
 「、」のあるなしとかいう些細な異同も多いけど、それだけではありません。「私は多くの懐疑を抱いてゐる。だが」で始まる、懐疑(うたがいを抱くこと)を口にすることを否定する、28行文の段落がまるごと削除されてたりします。長々とマルクスを引用した後の、最後の一行も以下の通り。
 
 初出「こゝに、人間認識の方則に関する一切がある。」
 全集「何んと容易な、又困難な言であるか。」
 
 過去の文章を手直しすること自体は、別に悪いことではありません。論旨を無断で変えたりしない限りは。
 「マルクスの悟達」に限って言えば、文章は大幅に変わっても、「マルクスエンゲルス、レニン」という「三人の天才」の「達人」ぶりをほめたたえ、レニン(レーニン)に批判されたマツハ(マッハ)を、ろくに説明もしないまま「贋物」と断言する論旨は、初出・全集共に一貫しています。賛成はできないにせよ、「マルクスの悟達」では、小林秀雄はアンフェアな改竄はしていません。
 アンフェアなのは全集編纂者および出版社の方です。この第五次全集には註解追補をまとめた補巻が三冊ついているのですが、その『補巻Ⅰ 註解 追補 上』(新潮社 2010(平成22)年)の「マルクスの悟達」の項にある「本文追訂」には、わずかに次の一行があるのみです(同書133ページ)。
 
 「一九頁14 並列三度音程→並列五度音程」
 
 確かに初出では「三度」になってましたけど、追訂すべき点はもっと大量にあるわけです。
 ページ数がなかったとは言わせません。註解には、「マルクシスト マルクス主義者(以下略)」だの、「マルクス」「エンゲルス」「レニン」といった項目が大量にあります。この註解レベルの予備知識もない読者では、本文を読んでもどっちみち理解できないでしょうに(いや、知らなくてもちっとも恥ずかしくないし、知っててもなんの自慢にもならない人たちですけど)。
 そのくせ一方の「マッハ」はわずか三行で、なんでレーニンに怒られてるんだか、これだけ読んでも全く理解できません。そういう国語辞典レベルの註解が6ページ。なんのための註解なのでしょうか。
 「マルクスの悟達」に限らず、小林秀雄全集には不可解な点が多すぎます。
 なお、もし初出を見てみたい、という方がいらっしゃいましたら、例によってスキャン画像を公開します。